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東京地方裁判所 平成6年(ワ)4007号 判決

原告

甲野太郎

被告

株式会社新潮社

右代表者代表取締役

佐藤亮一

右訴訟代理人弁護士

多賀健次郎

中馬義直

舟木亮一

主文

一  被告は、原告に対し、金一〇万円及びこれに対する平成五年一二月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その九を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する平成五年一二月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、被告の発行する週刊誌である「週刊新潮」平成六年一月六日号に「獄中で公務員年金を受給する『元警官』死刑囚」という見出しで掲載された原告に関する記事が、原告のプライバシーを侵害するものであるとして、原告が被告に対し不法行為に基づく損害賠償(慰謝料)を請求した事案である。

一  基礎となる事実

1  当事者

原告は、元警視庁警察官の職にあったが、退職後、金品強取の目的で二名の者を殺害したとして強盗殺人罪により死刑判決を受け、これが平成五年七月五日に原告の上告取下げにより確定して、現在、東京拘置所に死刑確定者として拘置されている者である(弁論の全趣旨)。

被告は、書籍及び雑誌の出版及び販売等を目的とする株式会社で、週刊誌「週刊新潮」を発行している(争いのない事実)。

2  原告の年金受給

(一) 原告は、前記死刑判決に係る刑事事件における未決勾留中及び右判決確定後の平成五年一一月までの間、地方公務員等共済組合法(以下「共済組合法」という。)の規定に基づき、警察共済組合から、月額約六万円の退職年金を受給していた(ただし、最終の同年一一月分については、同年一二月一五日に支給されている。)。

(二) ところで、昭和六〇年法律第一〇八号による改正前の共済組合法(以下「旧共済組合法」という。)一一一条三項によれば、禁錮以上の刑に処せられてその刑の執行を受ける者に支給すべきその組合員期間に係る年金である給付は、その刑の執行を受ける間、その支給を停止する旨規定されているところ、前記死刑判決が平成五年七月五日に確定したことから、原告は、警察共済組合から、右条項に基づき、平成六年二月八日付けをもって、既に支給された平成五年八月分から一一月分までの右年金の返還を請求されている((一)及び(二)につき、弁論の全趣旨)。

3  本件記事の掲載

被告は、遅くとも平成五年一二月二八日ころまでに、「週刊新潮」平成六年一月六日号を発行したが、同誌に次のような記事(以下「本件記事」という。)を掲載した(弁論の全趣旨)。

(一) 冒頭には、全部で五段から成る紙面に三段抜きで二行にわたり「獄中で公務員年金を受給する『元警官』死刑囚」というゴチック体による大見出しが付されている。

(二) 本文記事は、三ページにわたって掲載され、全部で一四段落から成るが、第一段落で、ゴチック体により「元警視庁警部の殺人犯、甲野太郎(五四)は平成五年六月、後藤田法相宛に『上告取下書』を提出した。取下げが認められ、死刑が確定して執行を待つ身になった獄中の甲野にも、国は毎月きちんと規定の公務員年金を支払い続けている。」とし、これに続けて、第二段落から第七段落にかけて、原告が警視庁に在職していたころの勤務状況、退職後の飲食店経営状況、強盗殺人の犯行状況、死刑判決からそれが上告取下げにより確定するに至った経緯等をいずれも簡潔に記載した上、「上告取下書」の内容を紹介し、簡単なコメントを付している。

(三) 第七段落の後、二段抜きで、「書籍購読料月に二万円」というゴチック体による中見出しが付されている。

(四) 中見出しの後の本文記事は、第八段落から第一一段落にかけて、原告の著書である「殺意の時」から、犯行に至るまでの間の原告の殺意に関する心理状況を記述した部分を二か所に分けてやや詳細に引用しながら、それらに関して、作家佐木隆三による死刑囚としての原告の人物批評を記載し、これに続けて、第一二段落で、「ところで、友人によると獄中の甲野はこれまでに約二千冊を読破したという。法律書、哲学、心理学、小説、そして最近のヘアヌード集もあらかた取り揃えたという。それもスミ塗り一切なしで。そして、『アサヒ芸能』に連載された『わが遺言』ではその品定めまで披露に及んでいるのだから恐れ入る。この死刑囚が講読する書籍代は月に平均二万円と友人はいう。」とし、さらに、第一三段落で、「それもこれも、国から支給される月額約六万円の公務員年金のおかげなのだ。甲野の元弁護士だった小室恒氏によると、逮捕当時は振込みは、三カ月に一回だったが、今は二カ月に一回。『私は国選弁護人ではないのですが、弁護料はほとんどゼロだったので、支給毎に一万円を支払ってくれてました。拘置所でも、やはり金がないと不便でしてね。冬の湯タンポの貸出しに一日四十円とられますから、甲野は年金に随分助けられたと思います。』」とし、最後に、第一四段落で、原告は強盗殺人事件の被害者側の事情でその遺族から損害賠償を請求されていないことが記載されている。

二  争点

1  本件記事が掲載された週刊誌を被告が発行した行為は、原告のプライバシー(私的生活領域に属する事柄で、みだりに公表されないことにつき法的保護に値する利益)を違法に侵害するものか。

(一) 原告の主張

(1) 本件記事の内容として記載されている事実のうち、①原告が公務員年金を受給していること、②右年金の額が月額約六万円であること、③原告が書籍講読料として毎月平均二万円を支出していることは、いずれも一般人の感受性を基準にして人に知られたくない私生活上の事実に当たり、この事実を公表されないという利益は、プライバシーとして、法的に保護されるべきものである。

(2) 一般に、私生活上の事実であっても、それが社会の正当な関心事に当たる場合には、その公表は違法とならないと解されているが、社会の正当な関心事といえるためには、その事実が公共の利害に関する事柄であるか、又は公的な地位にある者に関する事柄であることを要すると解すべきである。

そして、一般に、犯罪に関する事実は公共の利害に関する事柄に当たるものとされるが、犯罪を犯した者に関する事実であっても、その犯罪と直接的にも間接的にも関連性のない事実は、プライバシー保護の観点から、公共の利害に関する事柄には当たらないと解すべきである。

これを本件についてみると、原告は、強盗殺人罪を犯したとして死刑判決が確定し、拘置されている者であるが、前記①ないし③の各事実は、いずれも原告の犯した犯罪とは直接的にも間接的にも関連性のない事実であるから、公共の利害に関する事柄には当たらない。

また、原告が右犯罪を犯したのは警視庁を退職してから四年七か月後のことであり、さらに、原告は「社会的に著名な存在」でも「有名人」といえる存在でもないから、原告が公的な地位にあるということもできない。

したがって、前記①ないし③の各事実は、いずれも社会の正当な関心事には当たらず、これを公表した被告の行為は違法である。

(二) 被告の主張

(1) そもそも、公務員が退職後共済組合から年金を受給し得る事実は、法令の明文で定められている事柄であり、公知の事実であるから、プライバシーとしての保護の対象にはならない。

(2) 原告は、以前、警察官という社会の犯罪を防止し治安を維持すべき社会的地位にあったものであり、それが、その後強盗殺人事件を犯し、現在は死刑確定者という社会的地位にあるものである。そして、現在、拘置所内から名誉毀損等を理由とする損害賠償請求訴訟をしばしば提起し、マスメディアに積極的に登場する活動状況にあるが、その一方で、右事件の被害者に対する損害賠償義務及び右事件の動機となった多額の借入金の保証人に対する求償債務は、いずれも履行されていない。

本件記事は、このような社会的地位及び活動状況にある原告に対しても社会保障給付である公務員年金が支給されているという事実を摘示することにより、現行社会保障給付制度の問題点を一般読者ひいては国民に提示したものであり、右摘示した事実は、社会の正当な関心事に当たり、これを公表した被告の行為に違法性は存しない。

2  原告に損害はあるか。あるとすれば、損害額(慰謝料額)はいくらか。

第三  争点に対する判断

一  争点1について

1  本件記事の内容について

前記第二、一、3で認定した本件記事の内容によれば、本件記事は、原告の著書である「殺意の時」から、犯行に至るまでの間の原告の殺意に関する心理状況を記述した部分を引用しながら、それらに関して、作家による死刑囚としての原告の人物批評を記載し、それに続けて、このような著作活動をする原告の知的情報源の紹介として、原告が獄中でそれまでに約二〇〇〇冊の書物を幅広い分野にわたって読破していることを記載し、さらに、その書籍代として月に平均二万円を支出していること及びその収入源として国から月額約六万円の公務員年金を受給していることを記載していることが明らかである(なお、本件記事全体をどのようにみるかについては、後述のとおりである。)。

そこで、以下、本件記事の内容として記載されている事実のうち、原告が問題とする①原告が公務員年金を受給していること、②右年金の額が月額約六万円であること、③原告が書籍講読料として毎月平均二万円を支出していることについて、本件記事の右記載内容に照らして、まず、書籍講読料の点につき判断し、次に、公務員年金受給の点につき一括して判断することにする。

2  書籍講読料の点について

(一) 一般に、各人の書籍講読料が月額いくらであるかというような事柄は、その性質上、その私的生活領域に属するものであることは明らかであるが、そのような私的生活領域に属する事柄であっても、当該個人がそれについてみだりに公表されないことにつき法的保護に値する利益を有するといえるためには、少なくとも、それが一般に知られておらず、かつ、一般人の感受性を基準として、公表を欲しないと認められるような事柄であることを要すると解すべきである。

また、そのような事柄であっても、当該個人の社会的活動の性質あるいはこれを通じて社会に及ぼす影響力の程度などのいかんによっては、その社会的活動に対する批判あるいは評価の一資料として、それが公表されることを受忍しなければならない場合があると解される。

(二) これを本件についてみると、原告が書籍購読料として毎月平均二万円を支出しているという事実は、それ自体、社会的にみて、原告の人格的価値に対する評価を高めこそすれ、その低下を招くような性質のものとはいえず、一般人の感受性を基準とすると、それが公表を欲しないと認められるような事柄に当たるとは、にわかに認め難い。

また、本件記事の内容との関連においてみると、前示のとおり、本件記事における原告の書籍購読料についての記載は、原告の著書「殺意の時」の中の記述を引用しての作家による原告の人物批評に続けて、そのような著作活動をする原告の知的情報源の紹介として、原告が獄中でそれまでに約二〇〇〇冊の書物を幅広い分野にわたって読破していることが記載され、その書籍代として月に平均二万円を支出していることが記載されているものであるから、右の書籍購読料についての記載は、原告の知的情報源を紹介する上において必ずしも不必要なものとまでいうことはできない。そして、原告は、少なくとも右著書を社会に提供し、その限りで著作活動という社会的活動をするに至ったのであるから、それに対する批判あるいは評価の一資料として原告の書籍購読料が公表されることはやむを得ないところであり、本件記事は、正にそのようなものとして原告の書籍購読料について記載したものであるから、原告としては、主観的には望まないとしても、その公表を受忍すべきものといわなければならない。

以上、いずれの観点からみても、本件記事における原告の書籍購読料についての記載がプライバシーを違法に侵害するとする原告の主張は、失当であり、採用することができない。

3  公務員年金の受給の点について

(一) 一般に、人は、社会生活を営む上において、当該個人の置かれている社会的、経済的関係や身分関係、その他様々な関係から、種々の収入を得ているが、そのような収入の源泉は、その性質上、当該個人の精神的、肉体的な活動能力の有無ないしその程度に、したがって当該個人に対する社会的評価にもかかわる面が少なくない上、当該個人の私的生活領域を構成する様々な要因とも密接な関連を有するから、一般人の感受性を基準として判断すると、当該個人の社会的、経済的活動あるいはその身分関係等の社会的・外部的な事情から、それが客観的に明らかであるか、又は容易に推測される場合を除き、私的生活領域に属し、かつ、公表を欲しない事柄に属するものというべきである。まして、そのような収入の源泉からの具体的な収入金額については、その公表を欲しない事柄に属することは、多言を要しないところといえよう。したがって、当該個人は、そのような収入の源泉及びそこからの収入金額について、それをみだりに公表されないことにつき、法的保護に値する利益を有するものというべきである。

(二) これを本件についてみると、本件で問題とされている収入の源泉及びその収入金額は、原告が共済組合法の規定に基づいて警察共済組合から退職年金を月額約六万円受給していたということであるが、同法に基づく各種年金は、同法所定の受給資格を満たすことにより取得することができるものであり(退職年金につき、旧及び現行各共済組合法七八条参照。ただし、現行法では、退職共済年金とされている。)、また、その受給金額も、同法の定めるところによりその具体的な金額が算出されるものであって(退職年金につき、旧共済組合法七八条、現行共済組合法七九条参照)、退職年金についていえば、長年勤務した公務員が退職した場合、退職年金を受給することができるということは、その限りでは、一般に知られている事柄であるということができる。

しかしながら、元公務員であった個々人が、果たして退職年金を受給しているかどうかといったことは、各人の過去の公務員としての職歴や勤務年限等と関係するものであるから、当該個人のそのような職歴や勤務年限その他の退職年金受給資格の要件の充足が、当該個人を取り巻く社会的・外部的な事情から、客観的に明らかであるか、又は容易に推測される場合を除き、一般に知られていない私的生活領域に属するものというべきである。そして、退職年金の受給金額についても、それが法律の規定により定められているとはいっても、その規定内容をみると、原則として各人の給料額を基に算出されるものであるから、受給金額は、結局、各人の給料額と密接な関連を有するものであり、したがって、給料額の場合と同様に、一般に公表を欲しない事柄に属するというべきである。

そうすると、退職年金を受給していること自体、右に述べたような場合を除き、一般に知られていない私的生活領域に属するものである上、その受給金額については、一般に公表を欲しない事柄に属するのであるから、退職年金受給の事実については、当該個人が受給の事実及びその金額のいずれについても、それがみだりに公表されないことにつき法的保護に値する利益を有する場合と、その金額についてのみ右の利益を有する場合があるものと解される。

そこで、進んで、原告の場合について検討すると、原告が元警視庁の警察官であったこと、及びそれに関する職歴については、死刑判決に係る刑事事件の公判手続において明らかにされたであろうことは、容易に推測されるところであるが、なお、原告が退職年金の受給資格を有していること、まして現に受給していることまでも、右公判手続において明らかにされたことを認めるに足りる証拠はなく、その他、原告が退職年金を受給していることが、原告を取り巻く社会的・外部的な事情から、客観的に明らかであるか、又は容易に推測されるといった事情を認めるに足りる証拠はない。

ところで、原告は、前認定のとおり、現在、死刑確定者として拘置所に拘置中の身であるが、そのような法的地位にある者であっても、死刑判決に係る刑事事件と直接的又は間接的にかかわる事柄及び右の拘置関係に通常随伴する外部からも明らかなような事柄を除き、なお、その限度では私的生活領域を有するものというべきであり、したがって、そのような領域に属する事柄で、かつ、一般に知られておらず、一般人の感受性を基準として公表を欲しないと認められる事柄については、それをみだりに公表されないことにつき法的保護に値する利益を有するものというべきである。

しかるところ、原告が退職年金を月額約六万円受給しているという事実は、原告の私的生活領域に属する事柄であることは明らかというべきであるから、先に説示したところによれば、原告は、退職年金を受給している事実及びその受給金額について、それがみだりに公表されないことにつき法的保護に値する利益を有するものというべきである。

(三) 次に、前示のとおり、私的生活領域に属する事柄で、それが一般に知られておらず、かつ、一般人の感受性を基準として公表を欲しないと認められるような事柄であっても、当該個人の社会的活動の性質あるいはこれを通じて社会に及ぼす影響力の程度などのいかんによっては、その社会的活動に対する批判あるいは評価の一資料として、それが公表されることを受忍しなければならない場合があると解されるほか、その性質上、それが社会一般の関心あるいは批判の対象となるべき事項にかかわるときは、その公表が許される場合があると解される。また、当該個人が選挙によって選出される公職にある者あるいはその候補者など、社会一般の正当な関心の対象になる公的立場にある人物である場合には、その者が公職にあることの適否などの判断の一資料としてそれが公表されたときは、これまた、その公表を受忍すべきものと解される。

以下、右の観点から、本件について検討することにする。

(1) 原告が強盗殺人罪で死刑判決を受け、これが確定して拘置所に拘置中であることからすると、原告の右犯行当時における収入の源泉及びその収入金額は、犯行の動機等との関係で重要な犯情の一部を構成するものとして、その性質上、社会一般の関心あるいは批判の対象となるべき事項にかかわるものということができるが、本件記事が原告の収入の源泉及びその収入金額を取り上げているのは、そのような趣旨のものとしてではなく、単に、死刑囚としての原告が退職年金を受給しているという観点からであることは、本件記事の見出し及びその本文記事の内容から明らかである。

そこで、このように死刑囚としての原告が退職年金を受給していることが、その性質上、社会一般の関心あるいは批判の対象となるべき事項にかかわるものということができるか否かについて検討すると、前記第二、一の1及び2によれば、そもそも原告が本件記事のいう死刑囚となったのは、平成五年七月五日の上告取下げによって死刑判決が確定してからのことというべきであり、したがって、原告が死刑囚として退職年金を受給したのは、同年八月分から一一月分までのわずか四か月分のことである。そして、前示のとおり、旧共済組合法一一一条三項によれば、禁錮以上の刑に処せられてその刑の執行を受ける者に支給すべきその組合員期間の係る年金である給付は、その刑の執行を受ける間、その支給を停止する旨規定されているのであるから、本来、右の四か月分の退職年金は、その支給を停止されるべきものであったということができる(なお、原告は、死刑に処せられて拘置中であるが、右条項の規定の趣旨に照らすと、死刑の場合は、拘置中も右条項にいう刑の執行を受ける間に含まれるものと解すべきである。)。その意味では、右の四か月分の退職年金の支給は同法の規定に反してされたものであり、したがって、原告の右受給は不正受給といえなくもない。しかし、このように法律の規定に反する受給がされたからといって、直ちに、それが、実名をもって公表されても受給者がこれを受忍しなければならないような社会一般の関心あるいは批判の対象となるべき事項にかかわるものということはできず、これが肯定されるためには、当該受給者が違法不当な手段を講じて受給したなどの社会的に非難されてもやむを得ないような事情が存することが必要であると解すべきである。

これを本件についてみると、本来、原告について死刑判決が確定した時点において、警察共済組合側で法律の規定に基づき自発的に支給の停止をすべき事案であったということができ、一方、原告が前記受給をしたことについて違法不当な手段を講じたことを認めるに足りる証拠は、何ら存しない。

そうすると、右のような事情並びにその受給期間及び金額もわずかであることからすると、原告が死刑判決の確定後に退職年金を受給したことが社会一般の関心あるいは批判の対象となるべき事項にかかわるものということはできない。

なお、被告は、この点に関連して、本件記事は、死刑囚である原告に対しても社会保障給付である公務員年金が支給されているという事実を摘示することにより、現行社会保障制度の問題点を一般読者ひいては国民に提示したものである旨主張するが、既に述べたように、法制度上、禁錮以上の刑に処せられて刑の執行を受ける者については、その刑の執行を受ける間、退職年金の支給は停止されることになっているのであり、原告の場合は、その規定に反して支給が停止されなかったにすぎない。ところが、本件記事においては、退職年金の支給に関するそのような法制度には何ら触れられておらず、また、原告が本件記事のいう死刑囚となった平成五年七月五日以降の年金支給について、なぜそのような法律の規定に反する支給がされるに至ったかというような右支給をめぐる事実関係についても何ら触れられていない。そして、その間の事情について警察共済組合当局等に取材した形跡も、証拠上何らうかがわれない。

右の点に加えて、本件記事の大見出し及び本文の内容、特に書籍購読料が月額平均二万円であることの紹介に続けて、「それもこれも、国から支給される月額約六万円の公務員年金のおかげなのだ。」とする文脈を併せ考えると、本件記事は、被告の主張するような現行社会保障制度の問題点を一般読者ひいては国民に提示したものというには、余りにその点の取材及び記事内容が不十分であり、むしろ、本件記事のうち原告の退職年金受給に関する部分についていえば、死刑囚にも公務員年金が支給されているという一見問題のありそうな外形的事実を大見出しを活用して提示することによって、その限度で一般読者の関心を引こうとするものにとどまるものというべきである。

(2) 次に、本件記事においては、原告の退職年金受給の事実は、原告の書籍購読料の収入源を明らかにするという意味で記載されているので、この観点から検討すると、既に認定判断したとおり、本件記事において原告の書籍購読料が月額平均二万円であることを公表したことについては、原告が著書を社会に提供し、その限りで著作活動という社会的活動をするに至ったことから、それに対する批判あるいは評価の一資料として原告の書籍購読料が公表されることはやむを得ないところであり、したがって、原告としては、その公表を受忍すべきものである。しかし、その収入源については、その性質上、それ自体は、右のような著作活動に対する批判あるいは評価の一資料となり得るものではなく、また、書籍購読料を明らかにするためには必然的にその収入源を明らかにしなければならないという性質のものでもないから、原告としては、右のような著作活動をしたからといって、退職年金受給の事実の公表を受忍すべきいわれはないといわなければならない。

(3) さらに、原告が、死刑判決を受けてそれが確定し、現在、拘置所に拘置されているからといって、そのことから当然に、社会一般の正当な関心の対象になる公的立場にある人物に当たるといえないことは、多言を要しないところであり(なお、原告のそのような法的地位から、私的生活領域に一定の制約が存することは否めないが、それは、前示のとおり、死刑判決に係る刑事事件と直接的又は間接的にかかわる事柄及び右の拘置関係に通常随伴する外部からも明らかなような事柄に限られるというべきである。)、原告が、そのような法的地位にあることを理由に退職年金受給の事実の公表を受忍しなければならないいわれは、これまたないというべきである。なお、被告は、原告が拘置所内から名誉毀損等を理由とする損害賠償請求訴訟をしばしば提起し、マスメディアに積極的に登場する活動状況にあるというが、訴訟をしばしば提起したからといって、それは裁判を受ける権利の行使にほかならず、そのこと故に、原告が右に述べたような意味での公的立場の人物となるものでないことは、いうまでもないところであろう。

(四)  以上を総合して判断すると、原告は、被告が発行する週刊誌に本件記事が掲載された当時、退職年金を月額約六万円受給しているという事実を公表されないことにつき法的保護に値する利益を有していたところ、被告が本件記事において右事実を公表したことを正当とする理由はないといわなければならない。

そうすると、被告が右事実を公表したことは違法であり、かつ、被告の担当者には、少なくともそのことについて過失があるというべきであるから、被告には、右事実の公表につき不法行為責任が認められる。

二  争点2について

原告は、被告が発行する週刊誌によって退職年金を月額約六万円受給している事実をみだりに公表されたことによって、少なからざる精神的苦痛を受けたものと認められる。本件に顕れた諸事情を考慮すると、その慰謝料額は一〇万円と認定するのが相当である。

第四  結論

よって、原告の請求は、慰謝料一〇万円及びこれに対する不法行為後の日である平成五年一二月三〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、これを認容し、その余は失当であるから、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官横山匡輝 裁判官江口とし子 裁判官市原義孝)

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